ライブ動画で感じた迫力は、市民から湧き上がる民主主義
動画のライブ配信をめぐって、あちらこちらから機能の追加や新規参入のニュースが流れてきますね。今回は、YouTubeでもスマホからライブ配信ができるようになるとのニュースが流れてきました。
スマホさえあれば、誰でも簡単にライブ動画を発信できるって、とってもパワフルなことだと思います。今日は、そんな例をひとつ紹介します。
左のツイートは、アメリカ議会の中から発信されたブロキャスをツイッターでシェアしたもので、配信された動画にリンクしています。
先日のフロリダ州での銃撃事件を受けての下院での様子なのですが、なんと議員のその場の判断でPeriscopeで配信したのです。
同じタイミングで議会の外での集会の様子も配信されていましたが、こうしたライブを見ていると、ニュースにはないド迫力を感じます。
ニュースは、「何を見せ、何を見せないか」の判断の上にあるものなので(時間に制限があるのだからそうならざるを得ない)、見ていても右から左に通り過ぎてしまう感じですが、なんの手も加わっていない生の映像は「腹に来る」、そんな感じです。
後になって知ったのですが、議会内からのライブ配信は、「テレビ中継の時間が切れてしまう、でも、Periscopeを使えば、様子を国民に知らせることができる」と、その場の判断で配信したようなのです。
これって、とってもアメリカンですよね?日本では考えられないと思いませんか?議会の外での集会、自分の意見をライブ配信する人などなど、一連のライブを見ていて感じたことは、「民主主義」ってこういうことだよな、ということです。
どこぞの国では、党名に「民主」と入っているのに、今だに結論ありきのトップダウンのように見えてきます。