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ご挨拶

異文化を実体験すると、風景が変わって見える

 実は正直なところ、時代遅れな事をしていると感じながら、この文章を書いています。

 なぜか?

 欧米ではすでに、自己紹介を動画で撮ってそれを文章に代えてしまうという流れになっているからです。

 さらには、こうした改まった挨拶よりも普段の自分の姿や考えていること、感じたことをストレートにライブの動画(ライブですよ!)で発信するほうが、自分そのものを伝えられると考えて、実際にそのように実行している人達が沢山います。

 スマートフォンひとつあれば、いとも簡単にそれができてしまうのです。

  私と同年代の方なら、個人名を使ってウェブサイトを公開したり、ましてやライブ動画で素の自分を広く発信するというのは、「文化的になじまない」とお考えになる方が、まだ多いと思います。

 ですが、ホームページなるものが出現した当時も、やはり似たような状況でした。二十数年前になるでしょうか。最近では日本でも、個人事業主の方を中心に、多くの方がホームページやブログを持ち、積極的に自己アピールをするようになりました。

 こうなってくると、いわゆる会社紹介的なホームページは、いかにも平面的に見えてくるから不思議なものです。そうすると、「文化的になじまない」って、なんだったのでしょうか?

 答えは人それぞれだと思いますが、私は、「異文化」を実体験することで、感じたり理解できるものだと考えています。

 ただし異文化とは言っても、海外からきたものとは限りません。日本人同士であっても、「性格や世代の違い」として片付けてしまいがちなことを、「文化の違い」と置き換えると、異なった風景が見えてきます。
 

私の異文化体験の始まり

 私の異文化体験は、北米でのものがほとんどなのでかなり偏ったものですが、そのことが逆に良かったとも思っています。特にアメリカは、日本とは真逆だと感じられることが多いため、文化人類学などの専門的な勉強をしたことがない私にとっても、違いとして理解しやすい部分が多いためです。

 振り返ってみれば、私の異文化体験の始まりは、ご近所のアマチュア無線家のご自宅を訪ねたときだと思います。

 当時私が通っていた小学校にはアマチュア無線クラブがあって、夏休みの講習会で免許を取ることができたのですが、そのことがきっかけとなり、大きなアンテナを立てている無線家を尋ねて歩くようになったのです。

 もしかすると、これまで私がやってきたこと、またこれからやろうとしていることは、当時と全く変わっていないのかも知れません。このあたりの経緯は、スピンオフサイトの札幌Geezerへようこそでも紹介しています。

 このサイトでは、私が感じた異文化を紹介していこうと思っていますが、ここで誤解しないでいただきたいのは、「どちらが優れているとか劣っているとか、正しいとか間違っているとか」そういう結論にならないで下さいね。
 

 ひとつ例を挙げると、私の高校時代。交換留学で、カナダに留学する機会があったのですが、その時に救急車の話になったことがあります。カナダでは救急車はとても高くつくという話を聞いて、「日本では、救急車は無料だ」と誇らしげに説明したところ、”Masashi, that’s communism!(それは共産主義だ)”というキツい反応が返ってきたのです。

 その当時は、まさにこれが異文化体験だと受けとめることはできませんでしたし、この反応に悔しい思いをした記憶があります。

 でも今なら、白黒をつけるような話ではなく、お互いの考え方の違いを深掘りしていくとができますし、またそうすることが、「自分の文化と同じように、相手の文化を尊重するために必要な第一歩」だと、私は考えています。

 この考え方は、日本人同士にもあてはめてみることができるはずです。でも実際には、日本人同士のほうが難しい。理由はカンタンで、「あなたと私は同じ」という、自分では気付きにくい反射条件のような大前提があるからです。

 なにかとギスギスしたニュースが目につく今日この頃ですが、この「あなたと私は同じ」を「あなたにはあなたの、私には私の文化がある」に置き換えて、自分をオープンに表現することができるようになれば、世の中もう少し丸くなるのではないでしょうか?

私が発信にこだわるようになったワケ

 話は飛躍しますが、最近は、「人生100年時代」とか「一生現役社会」といった、長寿社会へのシフトに目を向けて下さいね的な言葉をよく見かけるようになりました。

 公務員だった私の祖父は、55歳で定年退職しましたので、今起きていることは、祖父の目には異文化の世界のことのように映るかも知れません。

 これだけ変化のスピードが速いと、先輩達が敷いてくれたレールの上を「はいそうですか」と何も考えずに歩き続けることには、つかみどころのない不安や疑問を覚えている方が多いはずです。

 私も、そのひとりです。

 AIなどの技術の急速な進歩に加えて、日本では少子高齢化が進んでいることを背景に、自分たちの働き方や生き方、ひいては価値観まで変えてしまうような変化が進行中だと仮定すると、自分も何かを学び行動しなければなりません。

 では、何をどのように学び行動するのか?

 私の中での現在のキーワードは、多様性です。私の年代になると、凝り固まって思考停止になっていることがたくさんあります。それを解きほぐしてくれるのは、多分、「日本の救急車は無料だ」の例のように、自分の考えをオープンに表現していくことだと思います。
 

 自分の考えを発信しようとすると、そのことについてもっと深掘りしたくなりますし、また付随して「もっと知りたい!」ということがたくさん出てきます。発信手段のテクニカルな面や動向がそうですし、表現するということを改めて学びたくなります。どの分野も深い分野ですので、学ぶことに事欠くことはなさそうです。

 私が、「発信する」にこだわるようになったのは、こうした考えからです。小学校のアマチュア無線から始まって、「この先どこまで行けるのかな?」と考えると、ちょいとワクワクしてきます。