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空気とは異なる、同調圧力とは?

 私の年代に近い方々なら、その場の雰囲気という意味で『空気』という言葉を使うことに、あまり違和感はないと思います。「張り詰めた空気」とか「和やかな空気」などと、普通に言いますよね。

 そうした「場の空気」に無頓着な人のことを「KY(空気読めない)」と呼んで話題になったのは2007年だったようです。

 そんなに前のことでしたかね(笑)。

 で、『同調圧力』という言葉が出てきたのは、これは比較的最近のことだと思います。

 この言葉は、空気を読むということについての逆の立場からのものだろうと思い、特に気にも留めていなかったのですが、どうやらそれではいけないようです。

 私のように年代高め(笑)の特に男性の方は、大いに意識しておかないと、老害の仲間入りになりそうな気配です。そこでこの投稿では、そのあたりのことを、自戒も込めて、まとめておきたいと思います。

日本人が感じる「空気」は、宗教みたいなもの?

名著:空気の研究の表紙
私のお宝蔵書のひとつです♫

 新型コロナウィルスによる影響が広まり始めた頃だったと思いますが、アメリカのとあるメディアが、「日本は、同調圧力により拡散を防止しようとしている」と、やや皮肉めいた感じで日本の状況を伝えていたことが目に停まりました。

 日本には、人の移動を制限するための罰則を伴った強制力のある法律がない、ということを指してのことです。

 ということであれば、確かに自発的な協力に頼るしかなく、「ここはみんなでがんばりましょう」という、社会的な空気を醸成していくしかないのかなと、ぼんやりとですが、私はそう考えていました。

 でも同時に、この社会的な空気というは危なっかしいものであることも知っているつもりです。先の大戦でもこの空気に支配されてしまっていたことが、『空気の研究(山本七平著)』などで、詳しく説明されています。

 私は、何事も一長一短だと考えているタイプなので、空気に行動を規定されてしまうことは、必ずしも悪いことばかりではないと思っています。

 論理的ではない自身の深いところで行動や考え方を制限するのは、宗教も似たような感じですよね?そういえば、「日本人の宗教は空気である」と、何かで読んだことがあります。何で読んだのか思い出せないのですが(滝汗)、これには一理あると思います。

給与の返上は同調圧力か?

 そんなワケでしたので、先日「山梨県知事が給与を返上」というニュースがツイッターで流れてきた時は、「率先して行動する人が出始めたか」、というのが正直な私の感想でした。

 ところが、そのツイートに付いた反応は、私のとは全く異なって、ほとんどが反対意見です。

 知事の行動がパフォーマンスかどうなのかは、ご自身の内面に関わることなので、これは外野が云々するべき事ではないと思いますが、この行動そのものが、同調圧力になるというコメントには、ハッとさせられました。

 茂木氏のツイートにもあるように、人知れずの行動であれば、確かに職員にプレッシャーをかけることにはならないのでしょうが、大々的になってしまうとそうもいかない、ということですよね?

 私が県の職員なら、「あなたはあなた、私は私」で、気にも留めないと思いますが、公務員の職場というのは、私みたいな考えの持ち主は、そもそもいてはならないような空気なのかも知れません。

 だとすると、今回は知事のほうがKYだったということになりそうです(批判ではありませんよ、念のため)。

 いずれにしても、『業務とは離れた一個人としての行動であっても、やり方によっては、指示と同じような同調圧力として受け取られることがある』、ということは意識しておかねればならない、ということです。

空気ではなくロジックだと、どうなのか?

 ここで、日本とは何かと逆のことが多いアメリカでは、どうなっているのかを紹介しておきたいと思います。

 ツイッターやフェイスブックでも拡散した左の動画(日本語字幕付き)には、日本の国会との違いに、驚く方が多いかも知れません。

 日本でも、「感染有無の検査をもっと広めるべきではないか」という点が国会でも論議されましたが、アメリカでは、国による検査(無料)は、民主主義の手続きに則って、まさに勝ち取った状態です。

 そのために必要な法律がちゃんと存在していた、という点も大きいとは思いますが、ポーター議員による「腹をくくれ(コミット)」と、行政側(CDC)に迫る姿は、圧巻です。

 で、「Yes」を引き出した後の「アメリカ市民の皆さん聞きましたか?」という言葉がまた、とても分かりやすい。市民の声が議員の声となり国を動かしている姿が、このビデオでは、とても分かりやすく伝わってきます。

 あ、でも誤解しないで下さいね。私は、このビデオから大いに学ぶべきことがあると思っていますが、日本もアメリカと同じになればいいと思っているワケではありません。どちらかというと、日本には日本のやり方があっていいと思っているほうです。

まとめ

 空気と同調圧力の話が、国の仕組みの話になってしまいましたが、何かにつけて「間接的」な日本の姿って、「直接的」なアメリカと比較するとよく見えてくると思います。

 繰り返しになりますが、どちらが秀でているという話ではなくて、異なったやり方があって、どちらの目から見ても参考になる部分があるのでは?という話です。

 今回批判の矢面に立つことになった知事も、トップダウンの同調圧力をかけようという意図だったとは、私には思えません。でも、そのように受け取る人達が多く存在することを意識することが、視野を広げることにつながると思います。

 その点、茂木健一郎氏のツイートはさすがですよね?

余談になりますが

 日本の間接的なコミュニケーション方法について、Deborah Tannen 氏の論文 “Why don’t you say what you mean?” (現在は SCRIBD で入手可能)では、アメリカ社会にも似ている部分があるということも含めて、コミュニケーション方法の違いが見事に解説されています。

 日本的なコミュニケーションが、ともすると古い体質で弊害しかないという考え方が最近目立つようなので、ここで敢えて紹介しておきます。参考まで。

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