コーチ・コンサルタントと師匠・師範との違いとは?
実は私は、日本語の「コーチング」という言葉の持つイメージには、ずっと違和感を覚えていました。
怪しい響きですよね?特に私の年代だと、そう感じる方が多いのではないでしょうか?
◆ 何年も腑に落ちなかったコーチングという概念
10年以上も前のことになりますが、私は、CTIのマスター・コーチによるコーチの認定書をいただきました。関連書籍にもたくさん目を通し、トレーニングも積んで、それなりに学んだつもりです。
でもどこか腑に落ちなかったのです。
当時学んだことを今振り返ってまとめてみるなら、「クライアントが自ら成長するために選択し行動することを促すためのスキルセット」ということになりますが、でも何かが欠けているような気がしたのです。
それが何なのかのヒントに思い至ったのは、10年近く経ってからだと思います。
日本には師匠や師範と呼ばれる方々がいますよね?何年(あるいは何十年)もかけて学び身につけるような日本の芸や日本の武道の場合には、教える立場の方々をコーチとは呼びません。

みなさんは、師匠や師範という言葉からは、どのようなイメージが思い浮かぶでしょうか?
私的には、「お手本を示す人達」で、生き方そのものまでがお手本になっているような、そんな方々です。
そこに気づいてからは、コーチというのは、「何か得意なこととコーチングのスキルとが組み合わさって成立するもの」だと、考えるようになりました。
例えば野球のコーチであれば、得意なことと言える程度には、野球をした経験があるはずです。
コーチに必要なスキルセットの中で大きな位置を占めるのは、もちろん「引き出す力」ですが、それだけでは不十分で、コーチをする分野に関する知識や経験に加えて、コーチとしての生き方そのものまで含めたことがプロのコーチに必要なのではないか、という考え方になったわけです。
でも、まだどこか腑に落ちない部分がありましたし、この考えは、その昔に学んだ「コーチは、コンサルタントとは異なり、その分野の専門的な知識・経験は不要」ということとは、異なっています。
◇ 道あるところに師匠あり、ゴールあるところにコーチあり
コーチングという言葉に怪しさを感じてしまう理由は、「異文化のものを強引に自分達の文化にあてはめようとしているからではないか」と気づいたのは、ごく最近のことです。
「お手本を示すことができない人が、なぜ指導的な立場になれるのか?」というのは、私達日本人なら誰でも考えることだと思います。
でも、コーチは本来「指導的立場の人」ではありませんし、日本的な師弟関係が入り込む余地はもちろんありません。
西洋の英語圏文化には、
「まずはゴールを決めて、そこから逆順に考えて行動を選択しましょう(Think backwards)」
という社会文化的な基本的なスタンスがあります。多くの人達が楽しむスポーツにも、文字通りのゴールがありますよね?このような環境下では、ピタリとコーチングがはまります。
対して、師匠や師範が指導する場では全く逆です。日本では、「長い道のり、まずは見て学び取りなさい」というのが、何かを身につけさせようとするときの基本スタンスです。それが普通のこととして意識の中にしみ込んでいますから、異質なコーチングが怪しく見えるのは、当たり前のことだったワケです。
文化的は背景が異なるという意味では、もう一つ気づいたことがあるのですが、それは、コンサルティングに関する説明の流れで説明します。
◆ コンサルティングは、知識・経験を共有だけど…
コンサルティングという言葉には、コーチングのような怪しさは感じられないと思います。理由は、どちらの文化にも「専門家」という共通した概念があるからです。
そうはいっても、コンサルティングは、一方通行的な知識・経験の提供ではありません。それはティーチングです。
コンサルティングは、クライアントが取り組んでいる課題やその目的・背景などなどについて、クライアント側からの共有(やはり引き出す力が必要)がなければ成立しないものです。なので、学校教育的なティーチングとは大きく異なります(後述)。

なぜそうなっているかというと、仕事上の課題をどのように定義してそれを克服するかは、最終的にはコンサルタントではなくクライアントが決めることだからです。
コンサルティングを行う中から出てきたアイディアや具体案の実施までを、コンサルティング業務に含めて考える方が日本にはまだ多いようですが、実作業はコンサルティングには含めるべきではありません。
実作業や実施の管理まで行うということであれば、パートナーあるいは請負いの立場になってしまい、第三者としての視点を失ってしまいます。
だからこそ必要なのが、クライアント側からの情報の共有で、そのためにコンサルタント側に求められるのが、状況を把握するためのコミュニケーションスキルということになります。
このように考えると、コーチングもコンサルティングもアプローチが異なるだけのことで、クライアントが結果を出すために重要なのは、コミュニケーションスキルということになり共通しています。
◆ どちらも大前提は「自分の言葉にすること」
話は少々飛躍しますが、私は学生時代に進学塾で講師をしていたことがあり、当時のことで今でも強く印象に残っていることがあります。
それは、子供達の理解力の差です。
私は、算数・数学・理科を担当していましたが、塾内テストの成績順でクラス分けをした20名程度のクラスでさえ、理解力に大きな差があるということを目の当たりにしました。
日本の学校教育には、飛び級という概念がありません。「飛び級なんて不公平だし、ないのが当たり前だ!」と思う方が多いかもしれません。でもアメリカに行くと、その考えは逆なのです。
つまり、
「能力に合わせた教育を受けられないことこそが不公平」
ということになるのです。
でも誤解しないでくださいね。ここでお伝えしたいことは、私たち日本人の多くは「同じでいることに頼っている」環境に、知らず知らずのうちに慣れきってしまっているということです。
「言わなくてもわかるでしょ!」は、その最たる例のひとつです。
対して、コーチングもコンサルティングも日本とは逆の文化圏で生まれたものですから、
「自分の言葉に表現しないと始まらない」が大前提
なのです。
みなさんも、このようなサービスを受ける機会がありましたら、ぜひともこのことを思い出していただきたいと思います。くどいようですが、コーチングもコンサルティングも、クライアントが「自分自身の言葉にしてそれを実行する」ことがゴールです。
◇ 自ら能動的に学ぶには?
フリーランスなマインドの皆さんは、学び続けることに喜びを感じる方が多いと思います。

なのでここからは、余計なお世話になりそうな気がしますが、学んだことを発信し始めることで、それを自分のものにするスピードが上がりますし、深くなりますし、視野が広くなります。
ツイッターなどのSNSでも、フリーブログでもなんでも構いません。同じような仲間に出会うのにそう時間はかからないと思いますし、発信したことに共感してくれる人も必ず現れます。
学んで表現して発信するって、まさにアクティブ・ラーニングのプロセスそのものではないかと、最近私は、そんなふうに考えています。
学校教育の現場では、この考え方が導入され始めているようですが、私達大人にとっては、未体験ゾーンです。それを自分で体験するのにおあつらえ向きなのが、発信することだと思います。
最後になりましたが、私もコーチのひとりです。コーチングが未体験の方は、気軽な異文化体験として試していただければと思います。
初回は無料でお受けいたします。