ネットサーフィンという言葉は、もう死語でしょうか(笑)

僕の情報の仕入れ先は、まずはインターネットです。次に本や新聞などの紙媒体、最後にテレビがきます。でもテレビが最後に来るのは、それが劣っていると考えているからではありません。それぞれのメディアがそれぞれに一長一短。僕が興味がある分野での動向や最新情報は、たまたまインターネットが早いし豊富だし、なにより発信している人と直接やりとりができる場合が多いことが気に入っていて、結果として、インターネットがまず最初に来ます。

最近になって、あちらこちらで目にする情報がAI(人工知能)に関するものです。インターネット上には、AIを使ったサービスが既にたくさん登場していて、中には、音楽を作曲したり絵を描いてくれるものまであります。

実際僕も、それらのサービスを活用して発信しています。まだまだ機能としては限定的ですが、それでも、僕にはできないことをやってくれるわけですから便利になったものです。でも実は、使いながらどこか気になる自分も存在します。何かを手にするということは、別の何かを手放しているということ。あまり良い例ではないかも知れませんが、コンビニができてすごく便利になったけど、プラスチックゴミが増えてしまい資源の無駄遣いをしていることに気付いたみたいな、そんなことがどこかにあるはずです。

これまで開発されてきた人工知能は、siriのように機能特化型のAIですが『人工知能と経済の未来(井上智洋著、文春新書)』によると、2015年あたりから汎用人工知能の世界的な開発競争が始まっているといいます。ここまで来ると、映画のターミネーターやマトリックスをイメージしてしまう方が多いかも知れませんね。テレビドラマでは、パーソン・オブ・インタレストというのがありました(これは僕のお薦めです)。

ネットサーフィンのハナシにもどりますが、情報格差などと表現して、インターネットを活用しなければあたかも社会から取り残されますよみたいなことを言う人がいますが、必ずしも当たっているとは思いません。実際、アーミッシュの人達のように、インターネットを含めた文明の利器をできるだけ遠ざけた生活に幸せを見いだしている人達だってたくさんいます。まあそこまでいくと極端ですが、例えば僕の場合なら、僕が知りたいと思う情報を必要なタイミングで提供してくれる人達が近くにいれば、僕がネットサーフィンをする必要性はかなりなくなります。

あ、でもその程度の役割なら、近い将来にAIがやってくれそうですね。そうなったときはまた、得るもの失うものをしっかりと考えて、どこでバランスを取るのかを選択することになります。そしてそのバランスの取り方は、使わないという選択肢も含めて人それぞれで異なってイイと思いますし、むしろ異なるべきだと、僕はそう考えています。