国会議事堂

国民目線で憲法について考えてみた

ただ今、国政選挙、真っ盛りです。

 実は私、今回の選挙には、大いに興味があってテレビなどの報道をできるだけ見るようにしています。その理由は、自衛隊の存在を憲法に明記するという、憲法改正が論点のひとつになっているからです。

そもそも憲法とは?

広島平和記念公園

 私は、法学者でも公的な資格をもっているワケではありませんので、あくまで一市民としての感覚で考えていることなのですが、憲法というのは、それがあるからこそ「独立国」として他の国々に認めてもらえる、という大きな意味を持っているものだと、理解しています。 

 つまり、「日本は、こういう国でこういうふうな考え方で行動する国です」という大前提が憲法で、もちろん私達国民に向けたものですが同時に対外的にも宣言している、それが憲法だと思うのです。

 では憲法が、なぜ他の国々から認めてもらえるかというと、それは、民主的なプロセスを経て成立したものだから、国民全体の考えが反映されている「はずである」という前提があるからなのだと思います。違うのかな?

 まあ、日本の憲法は、それが成立した時期が時期だっただけに、成立の経緯が云々されることが多いようですが、憲法の前文を読んでみると、そんなことどうでも良くなると感じる方が、私以外にもいると思います。

 日本国憲法の前文からは、日本語で読んでも英語で読んでも、精神的な美しさすら感じます。

 日本国憲法の前文はこちら(日本語・英語)

憲法のほうを現状にあわせる・・・?

 さて、その憲法が表現していることと現状があわなくなってきてしまったので、憲法のほうを変えておきましょうというのが、現在提案されている「自衛隊明記」だと思います(少なくとも私にはそう見えます)。

 これ、大丈夫なんですかね?

 「日本はこういう国です」という内外に向けた大原則を、現状にあわせるということをやってしまうと、将来また、同じ事にならないのでしょうか?

 そもそも、自衛隊が現在のようになったのは、憲法の条文を「解釈」して運用してきたからだというのが私の理解です。解釈って、私のように法律を専門にしていない者にとっては、ワケがわからんことが多いので、あれよあれよという間に、外国からみると「軍隊にしかみえない」状態になってしまったのではないでしょうか?

 仮に現行の憲法の解釈の範囲内で現在の自衛隊があるとしても、もし憲法に自衛隊を明記したら、そこからまた新しい解釈がはじまって・・・と、歯止めがきかなくなる気がしてしかたがありません。

 もしそんなことになれば、日本は民主主義の国ではなくて、長いものには巻かれろ主義の国になってしまいそうです。

戦争に巻き込まれない国であり続けるためには?

父親に肩車された娘の後ろ姿

 最近、キナ臭いと感じるニュースを耳にすることが多くなったせいか、近隣の国々との関係は、私としては、とても気になります。

 それぞれの国に、それぞれの国家体制があるのでしょうが、日本も含めて、国家のリーダー達が「人気主義」に走っているように見えて仕方がありません。

 人気主義同士がぶつかりあって、戦争になってしまうなんとことはないと信じたいですが、私的には気になります。そんなことになってしまわないように、私たち一般国民にできることは、やはり投票所に出向くことだと思います。

 「俺たちは、みているぞ」ということを示す意味はとても大きいと思います。

 政治に関心が持てないといのは、わからなくもないですが、投票すらしなくなってしまったら「長いものには巻かれろ主義」がジョークではなくなってしまいます。

 ちなみに私、誰に投票するべきか判断が付かない時は、私の場合は、白票を投票することにしています。選挙管理委員会では、白票の数もちゃんと把握していて、選挙後に問い合わせると、その数を教えてもらえます

 私、実際に電話して教えてもらったことがあります(笑)が、なんでマスコミは、白票の数を公表しないのかな?

 最後に、誤解されては困るので念のためですが、私は、自分の国を守るためだけであれば、自衛隊は必要だと考えています。

 でも同時に、それには「自分の国を守るために限る」という歯止めが絶対に必要で、それを支える国民ひとりひとりの行動が伴わなければ機能しないとも考えています。

 というわけで、投票に行きましょうね!

 

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