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言語と異文化

◆ 住所にみつけた、隠れた「あたりまえ」

 みなさんは、街中で外国人に「この道路の名前はなんですか?」と、英語で聞かれたことはありませんか?

 随分と前のことになりますが、私は何度か経験があります。最近は、スマホの位置情報機能が優れモノなので、あまりこういうことはないかも知れませんが、この「道路の名前」と知りたがっていたその意味を理解できたのは、実は最近のことなのです。

 今振り返ってみても、確かに「この道路の名前」という質問の仕方をしていました。

 道を尋ねる本人にとっては目的地にたどり着ければいいわけですが、でもそれならば「どこそこへは、どう行けばいいのか?」という聞き方になるはずですよね?

 実は、この質問の仕方の背景には異文化がありました。

 日本では、道路全てに名前がついているわけではありません。交通量の多い大きな通りは別ですが、街中では例えば小路とでも言うのでしょうか、名前がついていない道路がたくさんありますし、仮に通称的な名前があるにしても知らない場合が多いです。

 さらに住宅街の中ともなると名前が付いていないのがあたりまえです。

 で、ここからが大事なのですが、知らなくても、不都合を感じることはあまりないです。京都市の中京区だけは例外かもしれませんが、細かな小路にまできちんと名前がついていて、そうなっていないと建物を特定できないというのは、日本の一般的な住所の決め方ではありません。

 対して、アメリカ・カナダではどうなっているか?それが、なんと全ての道路に名前が付いているのです。

 住宅地の中の細かな道路ひとつひとつにまで、きちんと名前が付いていて、もちろん地図にも載っています。百聞は一見にしかずで、Google map をぜひとも拡大してながめてみて下さい。この先行き止まりのほんの数十メートルしかないような道路にまで、ちゃんと名前が付いているのが見えます(それにしても google map すごいね)。

 後のページで紹介する戸籍のハナシは、アメリカ人達が驚きますが、この道路のハナシには驚かれる日本人が多いかも知れません。

 さてここで、最初の質問にもどりましょう。「この道路の名前は何か?」ですが、聞いているアメリカ人達にとっては、全ての道路には名前がついているという、自分たちの「知らず知らずのうちに身につけた常識」があるからこその質問の仕方なのです。

◆ コミュニケーションが不成立になることも!

 さて、実際に道ばたで道路の名前を聞かれたら、どうなるかを少しだけ想像してみましょう。

 もし聞かれた日本人が「えー、この道に名前なんてあったかな?」という反応をしたとすると、質問した側としては、不思議に思うかもしれません。

 で、気を取り直して別の人に聞くと、またしても「知らないです」という答え。で、また次の人に聞くと・・・。もしこうした状況にあったなら、そのアメリカ人はどう感じるでしょう?

 そう、「日本人は、なんて不親切なんだ!」なーんてことになりかねません。

 重要なことは、こうした誤解は、言葉の壁が問題で生じるワケではない、ということです

 知らず知らずのうちに身についてる自分たちの「あたりまえ」、いわば自分たちの文化を、別の文化に持ち込んでしまっているから生じるワケです。

 しかもやっかいなのは、「知らず知らずのうちに身についている」ことですから、自分自身ではそれに気付きにくいということです。

 いかがですか?言葉が通じなければ、こうした誤解は生じませんが、だからと言って外国人は避けよう、なんて結論にはならないで下さいね。

 「あ、ここが違うね」というピンポイントから対話が始まるのがアメリカン。住所の表記だって番地から始まります。氏と名の順番だって、そうです。

 逆に、「ここは共通だよね」ということからコミュニケーションするのがジャパニーズです。住所にしても名前にしても、共通するかもしれない大枠から始まるようになっています。

 そんなふうに考え始めると、オモシロイですよ♪