コーチングのイメージ画像コンサルティングとコーチングは、相反する手法だと思われている方が多いと思います。私もそうでした。

でも今では、言葉の持つイメージに少し捕らわれすぎていたように思うので、そのあたりのことをまとめておきます。

コーチングは、コミュニケーションのスキル

実は私は、日本語のコーチングという言葉の持つイメージには、ずっと違和感を覚えてきました。その理由は、コーチングのスキルだけ持っていてもコーチはできないと考えているからです。コーチとは、何か得意なこととコーチングのスキルとが組み合わさって成立するものだと思います。スポーツが分かりやすいかも知れません。野球のコーチであれば、得意なことを言える程度に野球をした経験があるはずです。逆に、現役時代に大きな実績があったとしても、指導する選手達と向き合う時に必要なコミュニケーションのスキルがなければ、プロとしてコーチはできません。

参考までに、私は、CTIのマスター・コーチによる認定書をいただきました。10年も前のことになりますが、当時学んだことを強引に一言でまとめるならば、コミュニケーション・スキルということになります。クライアントが何かを変えたいとき、あるいは前に進もうとしている時などに威力を発揮するコミュニケーション・スキル、そう捉え直すと、随分と印象が変わってきます。

コンサルティングは、知識・経験を共有

コンサルティングは、一方通行的な知識・経験の提供ではありません。クライアントが取り組んでいる課題やその目的・背景など、クライアント側からの知識・経験の共有がなければ成立しないと私は考えています。また、コンサルタントから出てきたアイディアや提案の実施までを、コンサルティング業務に含めて考える方が日本には多いようですが、本来は実作業はコンサルティングには含まれません。実作業や実施の管理まで行うということであれば、パートナーあるいは請負いの立場になってしまい、第三者としての視点を失ってしまうからです。

オンライン・コンサルティングのイメージ画像あまり良い例ではないかも知れませんが、法務がまさにそうだと思います。社外に法律顧問を持つ意味は、第三者としてのニュートラルな視点を与えてくれるからで、自社に有利な解釈ばかりを提供してもらっても、意味がないはずです。

話は少々脱線しますが、知識や経験を一方通行で提供するのは、ティーチング。私は学生時代に、進学塾で講師をしていたことがありますが、当時のことで今でも強く印象に残っていることがひとつあります。

それは、子供達の理解力の差です。私は、算数・数学を担当していましたが、塾内テストの成績でクラス分けをした20名程度のクラスでさえ、理解力に大きな差があるということを目の当たりにしました。このことで、学校教育の現場では、教えるということがいかに大変なことかということに気付かされました。

日本の学校教育には、飛び級という概念がありません。でもこのことは、アメリカに行くと「不公平」ということになるのですが、そのハナシはまた別の機会に。

まとめ:アクティブ・ラーニング

さて、日本の教育現場では、アクティブ・ラーニングが取り入れらることになったということは、皆さんもご存じだと思います。ふたを開けてみないと、どんなことになるのかはまだ未知数ですが、とりあえずは、子供達の教育が変わろうとしています。

では、私たち大人は?

フリーランスなマインドの皆さんは、学び続けることに喜びを感じる方が多いと思います。そして、学んだことや気付いたことを自分自身の文章にして、ブログなどで公開している人達がたくさんいます。これって、まさにアクティブ・ラーニングのプロセスそのものではないかと、最近私は、そんなふうに考えています。

みなさんは、どのようにお考えですか?